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最高裁判所第二小法廷 昭和42年(あ)472号 判決 1968年7月12日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人重松蕃、同佐藤義弥、同金野繁の上告趣意について。

第一点は、違憲(二八条)をいうが、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張に帰着し、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。原判決は、昭和三六年二月一一日秋田県知事小畑勇二郎が同県知事公舎内より被告人ら(ただし被告人佐藤を除く。)を含む秋田県県政共闘会議所属労働組合員全員の退去を要求するに至るまでの経過について、被告人小川および同高橋ら県政共闘会議の代表者が、同日午前知事公舎第二応接室において知事に対し昭和三六年度秋田県予算に関する県政共闘会議の要求書に対する回答期日を知事が政党に予算案を内示する前の同月一三日とするよう要求して折衝した際、回答期日を同月一五日として譲らない知事と意見が対立し、昼過ごろに至って折衝は行き詰りの状態となり、一方で知事は同日午後一時頃から第一応接室において当日予定していた県予算案の査定事務にとりかかったこと、これよりさき代表者の呼びかけで公舎内に入り右第一、第二応接室前の廊下等にすわり込むなどして代表者の折衝の支援をしていた被告人小林、同橋村を含む県政共闘会議所属組合員数十名は、代表者の一員であった被告人小川から折衝の経過等について報告などを受けていたが、前記折衝の行き詰りを知った後もすわり込みを続け、しかも同日夕刻ごろからはようやくその平静さを失って喧騒状態となり、床板を踏み鳴らし労働歌を高唱し、「小畑を倒せ」などと怒号し、また第一応接室の扉や壁をたたくなどして知事に対し威圧を加えたこと、代表者は公舎内にすわり込んでいた前記組合員数十名が右のごとき喧騒状態にあるのを制止することなく放置したまま数回にわたって第一応接室に入り、予算案査定中の知事に対し午前中と同じ主張を繰り返してあくまで要求を貫徹しようとしたこと、組合員および代表者の右のごとき態度が予算案査定事務の進捗に甚しく妨害となったため、同日午後八時ごろ知事が代表者との事後の折衝に応ずることを拒否するとともに、午後一〇時五分ごろまでの間に再三にわたり知事自身またはその意を受けた県職員を通じ県政共闘会議側全員の知事公舎外への退去を要求するに至ったことなどの事実を認定している。右のような事実関係によれば、組合員および代表者の前記態度は、右組合員数十名の知事に対する不当な威圧を背景とし、これと相呼応して折衝に臨んだものというほかはなく、かりに右折衝を固有の交渉権ないし団体交渉権を有するものと認めることのできない県政共闘会議とは別に、その傘下各組合(秋田県職員労働組合、同教職員組合、同高等学校教職員組合、全日本自由労働組合秋田県支部)のそれぞれの代表者を通じてなす交渉または団体交渉であるとしても、団体行動権行使の正当な限界を逸脱したものというべきであり、知事が県政共闘会議側全員に対し退去を要求したことは当然の措置であって、その要求に応じなかった前記被告人ら四名および組合員数十名の不退去の所為を正当な行為としてその違法性を阻却すべき事由は認められないとした原審の判断は、是認できる。

第二点は、違憲(二八条)をいうが、実質は単なる法令違反の主張に帰着し、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。同年二月一二日被告人小川、同佐藤、同小林が、たとえ知事に対し交渉ないし団体交渉に応ずることを要求するためであったとしても、多数の組合員とともに知事公舎に押しかけ、知事の意を受けた職員の制止を実力をもって排除し、大挙して公舎内に押入った所為は、正当な交渉ないしは団体交渉権行使の範囲内の正当な行為として違法性を阻却するものではないとした原判断は、是認できる。

第三点のうち違憲(三一条)をいう論旨の実質は、単なる訴訟法違反の主張であり、判例違反の論旨は、原判決は引用の判例と相反する判断をしたとは認められないから前提を欠き、その余の論旨は、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

第四点のうち憲法一四条違反をいう点は、記録上本件起訴が、所論のように、主義信条による差別的取扱であることを認めることができないから前提を欠き、憲法三一条違反をいう点の実質は、単なる訴訟法違反の主張であり、その余の論旨は、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

第五点は、違憲(三一条)をいうが、実質は単なる法令違反の主張であり、第六点のうち違憲(三一条)をいう論旨の実質は、単なる法令違反の主張であり、判例違反をいう点は、引用の判例が本件に不適切であるから前提を欠き、その余の論旨は、単なる法令違反の主張であり、第七点は、違憲(三一条)をいう点もあるが、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であり、また、第八点のうち判例違反をいう点は、引用の判例が本件に不適切であるから前提を欠き、その余の論旨は、単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

第九点は、違憲(二八条)を主張する。しかし、暴力行為等処罰に関する法律一条一項(ただし昭和三九年法律一一四号による改正前のもの)が、憲法二八条に違反するものでないことは、判例(昭和二五年(れ)第九八号同二六年七月一八日大法廷判決刑集五巻八号一四九一頁、昭和二四年(れ)第八九八号同二九年四月七日大法廷判決刑集八巻四号四一五頁)の示すところであるから、所論はとることができない。

第一〇点のうち判例違反をいう点は、原判決は引用の判例と相反する判断をしていないから前提を欠き、その余の論旨は、単なる法令違反の主張であり、第一一点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

被告人小川俊三、同佐藤陞、同小林俊太郎、同高橋茂、同橋村昭一の上告趣意について。

第一点、第二点、第四点、第五点は、違憲(二八条)をいうが、実質は単なる法令違反ないし事実誤認の主張であり、第六点、第八点、第一〇点、第一四点は、違憲をいうが、実質は事実誤認の主張であり、第一一点のうち判例違反をいう点は、引用の判例は本件に不適切であるから前提を欠き、その余の論旨は単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。第一二点は、暴力行為等処罰に関する法律一条一項(ただし昭和三九年法律第一一四号による改正前のもの)の違憲(二八条)を主張するに帰するが、所論がとるをえないことは、さきに、弁護人の上告趣意第九点につき説示したとおりである。その余の論旨は、単なる法令違反または事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

また、記録を調べても、同法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よって、同法四一四条、三九六条により、裁判官色川幸太郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

色川裁判官の反対意見

私は弁護人重松蕃外二名の上告趣意第一点に対する多数意見の説示には、以下述べる理由により賛成することはできない。

一  地方公務員も憲法二八条にいう勤労者であり、原則として、団体交渉権を含む労働基本権の保障を受けるものであることは、既に、当裁判所の判例とするところである(昭和三九年(あ)第二九六号同四一年一〇月二六日最高裁大法廷判決)。憲法二五条は、国民がすべて生存権を保有し人たるに値する生活を営む権利のあることを保障しているのであるが、契約自由の原則の支配する現行法秩序の下での勤労者の生活の維持、向上は、労使の契約の場合を通じてのみ実現せられるものであるところ、現実を直視するときは、両者の力の格差のあまりにも甚だしいことに想到せざるを得ないのである。それであるが故に、勤労者の団結を保障し、これを背景とすることによって使用者との力の均衡を得せしめ、対等の立場において、自由にして自主的な勤労条件の決定を可能ならしめてはじめて生存権を確保する途が開かれるのであって、ここにこそ団体交渉権を保障する所以があるのである。したがって、地方公務員についても団体交渉権の尊重せらるべきことはいうまでもない。

二  しかしながら、地方公務員については、使用者たる地方公共団体の長は、私企業の経営者と異なり、これまた当該住民の公僕であって、住民の代表たる議会の拘束下にあるが故に、勤労条件に関する労使の自主的決定の原則は、その意味でいわば内在的に、大幅な制約を蒙らざるを得ないわけである。地方公務員法(以下地公法又は法という)は、地方公務員と地方公共団体の当局との交渉が妥結点に達しても、団体協約としてこれを結実せしめることを認めておらず(改正前の地公法五五条一項但書、現行法五五条二項)、而も法がこれを単に「交渉」と呼び(法五五条)、労組法上の団体交渉と別異のものであることを明らかにしていることは、立法論として批判の余地はあるにもせよ、地方公務員の地位の特殊性に根ざすものであってやむを得ないところであろう。それにしてもこの交渉権は、憲法第二八条に由来するものであることは上述のとおりであり、適法な交渉の申し入れに対しては、当局はその申し入れに応じなければならない地位に立っているのである(法五五条一項)。職員団体の有する交渉権は実は権利とよばるべきものではなく、その交渉は、いわゆるネゴシエーションに過ぎないし、当局に交渉応諾の義務もないのだ、とする見解の如きは到底これをとることができないのである。

三  地公法は、法の規制に適合した組織についてのみ交渉能力を認めているのであるが(法五三条五五条)、本件における県政共闘会議は地公法にいう職員団体ではないからその能力を有しないことは明らかである。しかし、右の団体は、県の労働政策によってその勤労条件を左右されざるを得ない県職員その他の労働者の勢力を結集するために組織されたものであるというのであるから、もしその構成単位である職員団体又は労働組合が地公法上又は労組法上の交渉能力を有するとすれば、県政共闘会議の名の下に知事に対して交渉をした場合においては、とりもなおさず各々の団体が共同して交渉を組んだものに外ならないのであって、法律的に観察するならば、各団体の個別交渉が、同時に併行してなされたものということができるのである。ところで被告人小川俊三は、昭和三五年度まで秋田県職員労働組合(以下県職組という)の副委員長の職にあり、犯行当時は右団体より出向し、かつ、それを代表して県政共闘会議の幹事(情報宣伝担当)となり、本件交渉においては、頭初より職員側の代表として行動していたのみならず、知事側もまた交渉の相手方としてこれを容認していたのであるから、県職組の交渉代表であるとみて誤りはないであろう。

一方、被告人高橋茂は、全日本自由労働組合(以下全日自労という)の秋田支部長であったのであるから、もとより同支部の、まぎれもない代表者である。全日自労が、失業対策事業に雇傭される労働者を主体として組織されていることは顕著な事実であり、秋田支部はその下部組織であると同時に一個の労働組合である。これら失対労働者の労働条件は、政府の定めたある程度の枠はあっても、地方事情に応じ、事業主体たる県当局によって相当の程度において左右し得るものであるから、継続的雇傭関係の有無に拘らず、その長たる知事は、右組合の団体交渉の相手方たる地位にあると解することができるのである。(検察官引用にかかる昭和二七年(あ)第五九九号同二八年五月二一日最高裁第一小法廷判決は、県労働部長に対し、もともとその権限に属しない、日雇労働者の就職のあっせんを強要した事案であるから本件に適切ではない。また弁護人が批判の対象とする、昭和二八年(あ)第五二五七号同二九年六月二四日最高裁第一小法廷決定も、長野市民たる被告人等失業者の最低生活を保障するための生活資金の支給を長野市長に要求したという事案であるから、むしろ一種の政治活動であって、必ずしも労組法上の団体交渉権の行使とはいい得ないものである。)

四  なお県政共闘会議は、前記二団体のほか、秋田県教職員組合及び同高等学校教職員組合の計四個の団体を以て組織されているが、その運営は議長、事務局長各一、副議長四及び幹事六を含む一二名の役員で構成される幹事会によってなされているものであり、被告人小川及び同高橋は、いずれも右幹事会の一員であったのである。犯行当時における改正前の地公法五五条には、現行同法六項の如き代表に関する細部に亘った規定はなかったのであるから、県政共闘会議の組織の経過及びその目的からすれば、前記の幹事会又はそれに属する者は、構成単位たる団体(本件記録によれば、全日自労を除き、いずれも地公法上の登録団体と見られないことはない。)より、知事に対する交渉につき適法なる委任を受けているものと推認することができる。したがって、右被告人両名に上記四団体を代表して交渉する権限のあったことは殆んど疑う余地がないといわなければならない。もとより地方公務員の勤労条件は条例で定められるものであり(地公法二四条六項)、これを決定する権限は議会にのみ帰属しているのであるから(地方自治法九六条一項一号)、知事との間に協約を締結して、その履行を強制するような拘束的性質をもつ団体交渉の権限は、職員団体にもともと付与されていないのは前述のとおりであるが、職員団体の交渉権も、憲法二八条に基くものであるが故に、労働基本権が保障されている趣旨に鑑みるときは、叙上の制約はあるにもせよ、その交渉権は、可能な限りにおいて尊重せらるべきである。殊に地方公務員の給与その他の勤労条件の決定にあたり、交渉の最後のきめ手ともいうべき争議権が完全に剥奪されているのであるし、一方、職員の利益保護の機関として設けられている人事委員会制度にしても、少くとも給与に関しては、率直にいって無力であることを免れず(人事委員会の任務のなかで最も重要視さるべき給与に関する勧告さえも議会等を拘束する何らの法的効力を有しない。)、団体交渉権の制約や争議権の剥奪に対する代償的措置は極めて不十分なのであるから、給与その他勤労条件に関する交渉においては、地方公共団体の当局たるものは誠意の限りをつくしてこれに当るべきは当然であって、単に陳情を聴きおくというが如き冷淡な態度に終始し、真摯なる対案を提示することなく、過早に交渉の一方的打切りを宣するようなことは、憲法が交渉権を保障している趣旨に背反し、到底許されないところである。

五  本件の交渉は、かねて、職員団体等が要求していた臨時職員の待遇改善、その定員への繰入れ、宿日直、通勤手当の要求、失対労務者の労働条件改善等の、かねてからの懸案事項に関するものであって、いずれも三六年度予算原案に盛り込まれるものでなければ、恐らくなお一年間は日程にさえのぼり得ないものであるところ、知事の予算査定は二月一一日を以て終了するというのであるから、同日中に実質的な交渉がなされるのでなければ、ほとんど無意味に帰する性質のものなのである。一件記録によれば、県政共闘会議からの申し入れに対し、知事は、数日前、担当部長が既に回答したところそのままを、而もメモにもとづき機械的に読み上げたにとどまり、その後は、交渉の余地がないと称し何ら打開の途を講ずることなく、一方的に交渉を打ち切って退去を命じたことが窺われるのである。原審は、県政共闘会議の代表者は、公舎内に同人らの引き入れた数十名の組合員が喧噪状態にあるにかかわらず、これを制止することなく放置し、予算査定執行中の知事に対し、同じ主張と論議を繰り返して、知事による事務の進捗に妨害を与えたと認定し、それをもって、交渉打ち切り及び退去要求の正当な理由としている。しかし、数十名の組合員が喧噪を極めたとするならば(それも知事側の冷淡にしてかたくなな態度に触発されたものでないとはいえまい。)これらに退去を命ずれば足りるのである。これらの組合員が交渉の場たる応接室に乱入したような事実もないのみならず、知事側が極めて形式的な交渉態度を持し、数日前の部長回答より一歩だに前進しない硬直した姿勢をとる以上、職員団体代表が、「同じ主張と論議を繰り返してあくまで要求を貫徹しようとしたこと」は当然すぎるほど当然であって、代表者団自体には非難さるべき筋合は毛頭ないのである。原判決は、右の代表らの行動によって予算査定事務に支障を来したというのであるが、知事は県の長として県行政全般に亘る諸施策を総合考慮すべき立場にあるとともに、地方公務員の使用主たる県の代表機関であるのであるから、職員の待遇の問題は県民の福祉に直結した公共的性格を有するものであることに思いをいたし、予算原案の策定に当っても、一般の施策と同様に、職員の待遇改善を予算に生かし得るや否や、いかなる程度にこれを織りこむべきかという考慮を払うべきであって、これこそ予算査定事務そのものの一部なのである。

六  ところで、県政共闘会議の代表者団に対し、知事が退去を要求した前後のいきさつを本件記録によって見るに、公舎内に座り込んだ組合員数十名の喧噪行為は、もとより論外であり、正当な団体行動でないことは勿論であるけれども、代表者団としては、交渉に当ってこの大衆の暴力的行動を意識的に利用して知事の身辺に威圧を加えたような事実はないし、知事及びその家族の個人的生活を脅かしたわけでもなく、不遜傲岸なる態度をとり、吏員の懇請を無視、黙殺して公舎応接室に蟠居、滞留した如き事実もまた窺われないのである。右の代表者団を除くその余の占拠者に対する退去要求はもとよりそのところであるが、これと同時に、交渉の継続を期待しつつ、静かに待機していた代表者をも排除せんとしたことには、到底妥当性を認めることができない。要するに、知事による交渉の一方的打切りは、憲法二八条の精神に背く不当な処置であり、したがって、上記の諸事情と合せ考えてみるときは、知事による代表者団への退去の要求もまた不当であって、それに従わなかった被告人小川俊三及び同高橋茂両名は、未だ違法に退去しなかったものとはいい難く、その行為は犯罪を構成しないといわなければならない。多数意見に賛成できない所以である。

(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎)

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